ここから遠いどこかへ

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いつも忙しい、泣きそうという叔母

私には、身近に会う親族の中に叔母がいます。

彼女は離婚後は一人で過ごし、様々な職種を持ち、借金、負債を返すために生きています。
私は、お会いしても彼女から「忙しい忙しい泣きそうやわ」とかしか聞いた言葉がありません。

何かを話しようにも、私と会話するものあまり好きじゃないそうだから適度に距離をとって頷くことをしていました。

 

ある日、どうしても外せない書類の件で会って、目を通してもらわなければならないものがありました。


そして、訪ねると彼女はテレビを見ていました。
書類の件でお話を切り出すと、彼女は出かける準備をします。
滞納していた光熱費の支払いのためにお金をやりくりしにいこうとするので出かけるというのです。
100円ショップで売ってるエコバッグに、領収書で膨らんだぼろぼろの「金運をよせるという長サイフ」と通帳やカードをいれた透明なビニール袋がそこに適当に入れられていました。

 

とりあえず、数分で済むので、書類に目を通してほしいと言うと、彼女は忙しからあとでと言って取り上げ、

机に置いて出かけて行きました。私は玄関から出て出発する彼女を見送り、帰宅しました。

おそらく、チラシのように取って放り投げられたあの書類は、きっとそのうち目も通されず、
この家のゴミになって捨てられるんだろうなって思って寂しかったのを覚えています。

 

 

数日後、用事があってまた訪ねると彼女は寝ていました。
起きて、これから仕事に行くと言っているんですが、顔色が悪いのです。
健康のためにも病院を勧めたんですが、「忙しいから」といっていきませんでした。
気になったので次の日もおせっかいとは思いつつ訪ねました。
その時、彼女はとても体調が悪そうに顔色が真っ青でした。
でも、それでも「忙しいから」と言って通院を断りました。
これからヘルパーに入らなければ、水道電気代を払えないので、というので頑なにいきません。

私はあまりにも具合がおかしそうなので、彼女の職場に代わりに連絡をしてタクシーを呼んで病院につれていきました。
すると、診断は糖尿病と脂肪肝でした。
彼女は通院後にこう言います。
「忙しいから自分の具合なんかわかれへんかったんや!」
と、私を責めてくるような言い方をしてきます。

私が来なければ糖尿病にもならなかったんだ!等と最後には責められました。

病気で、心を病んでしまったのだ・・・とその時思いました。

忙しいから病気になったんだって私に言いたかったんだと思います。

 

気づけば、彼女の家の郵便物には請求書、催促状、キャッシングやローン関係の請求に関わる書類ばかりがあります。

水道電気も、何度も請求が来ていたり、未払いのものが多かったのです。

お金のことで何かがあって、人生がこんなふうになってしまったんだなって思いました。

玄関先もごみばかりが積み上げられていて、異臭が漂い・・時々、私はお掃除をしていたのですが、それも嫌がられることも多く、最近は疎遠になっていました。

母の妹に当たる人で、昔はすごく優しくて明るく気さくな印象があったのに、私が実家から離れて暮らすことがふえた間にいろんなことがあったみたいです。

根掘り葉掘り詮索するのもできませんので、もう、関わらないようにすることにしました。

母も、できるだけのことは力になるけど、暴力を一度振るわれてそれからはもうそっとしておくことにしたと言っていました。そして、私にはもう、叔母のところには行かないでといってきます。

 

叔母は・・・忙しい中、私が来るのに「忙しい」って言うのも忙しいって言っていました。
もう、よくわからなくなって、どうすべきかコメントしそこねて、とりあえず養生のための薬は飲んで通院してねって伝えました。

(私の予想では、多分、通院も服薬も忙しいからストップするだろうな・・・と思います)

本人が言うには、市の健康診断も行ったことがないそうです。
本人にとって、忙しい忙しい=健康に気を配らず生きていくことのほうが大事
なのでしょう。

 

 

自営業だから忙しいのでという理由をつけた、・・いわゆるセルフネグレクトだと思います。

後々聞くと、飼い猫や犬にもワクチンや適切な処置をせず、放置し衰弱死させる叔母なので、そういう人なのかと悲しくなりました。

それから半年後、忙しい忙しい泣きそうという愚痴を、私はまた耳にしました。
(会うのを控えたつもりだったんですが、ある事情により会う機会がでてしまったので)
借金を返すために働くこと=忙しい自分>>>>>>>>>>>生命、健康
なんだろうなって思いました。

これまでの彼女の人生の境遇を、私はどうこう責めるつもりもそんな資格もありません。
ただ、そういう人なのだと思いました。認知の歪みもそうなったんだろうかと思いました。

 

時間がない、忙しいという言葉には「自分のことよりも、なにがあっても率先しなければならないものをするんだ」という意味が、本人にあるんだと思います。

しかし、作業そのものを行うには、健康がないと忙しくできないのに・・・と逆にも考えてしまいます。

 

命をおろそかにしてでも忙しくするのを強制させられ、被害者のように言葉にしだすと、もうその瞬間、ある種の特殊な悲しいループにはまってしまってるんだなあって感じました。

叔母から学んだことはそんなひとつのループでした。

私は大事にしたいものを忙しいと表現したくないと感じます。

むしろ充実した貴重な時間を費やすことから多くを学んで行きたいです。

綺麗事ばかりですむ世の中ではありませんが。ささやかな理想と生きがいは持ちたいです。

言葉の使い方をすり替えて濫用したくはないと思いました。