ここから遠いどこかへ

趣味やその日の日記、今思っていること、考えていること

とある日常のヒエラルキーからツール抽出した

私には、直接的あるいは時折、間接的に専門の上司2人がいます。

そして、さらにその上に、部門を統括する一番上の偉い人がいます。

ですから、3人が私の指導役にあたりますが、2人が具体的に直接接する機会の大きい人です。

 

身近な指導にあたる二人は、男性と女性です。

そのうち、男性は私の学歴、出自を軽蔑しながら接してきます。

例えば、彼はとてもいい大学をでているので学歴の低い私について、私がいないところで私を追放するように周りの人々に言っています(ICレコーダーで録音確認済み)

 

女性の方は、言葉が不自由で責任感のない人です。

いつも発表の時に、または日常会話をするときでも「えっと、えっと~~が~~で、えっとえっと、~で、だから、え~、~~え~~、え~~、えっと、えっと」

と、語尾に「えっと」が多くて日本語が理解しづらいのです。

そして、会話をしていて、とても、つらいです。

どこで区切っていいのかわからない日本語なので、そちらに気をやられてしまい、えっとえっとの言葉にこれまで話していた内容がキャンセルされるような感じがするのです。

つまり、指示を簡潔に言ってくれません。

私は、彼女の言葉を理解するのに常に全力を必要とします。

ずっとこれでは神経がまいってしまうので、うまいこと自分でも、彼女の接し方にコツをはやく習得せねばなりません。

しかし、大事な件を扱う時には、やはり気をつかいます。

また、彼女は、私に中途半端に自ら関わってきて大事な所で用件を投げ出して引っ掻き回していきます。

例えば、重要な発表書類の仕上げの段階で、何も言わずに彼女は欠席して放置し、なに食わぬ顔して忘れたかのように数日後やってきます。

発表当日に、私一人が彼女のチェックなくその発表をすることになったりかなり大変な事態だったというのに、一切を忘れた顔して後日、出てきます。

 

そしてとうとう、私はとんでもない目にあいました。

彼女自身のやり方に従って行っていると、半年後、周囲の人から非難されだしたのです。

彼女のやっていたことの8割が間違ったやり方で(例えば書類の保管場所、物品の保管場所、発注の方法、大事な暗黙のルール等)私はその通りに、間違ったことを彼女のようにしていたのでした。

気づけば、もう半年。

訂正して、周囲の人の言うように間違いを8割・・・1から直していかなければなりません。

 

しかし、振り返ると、では長年、上司たる彼女はなぜずっと間違ったままで存在しているのでしょう?

その彼女を上司にして手本のように覚えた私が、同じ間違いを教えられるのをどうして周りの人々は想像しなかったのでしょう?

いいえ、答えはありました。

 

彼女のことを周りはわざと放置していたからです。

私は、彼女の子分としての生贄だったのでした。

なぜなら、彼女は「私は私で好きなようにやるから好きなことをすればいいのよ」

そう、公言していたからです。

また、男性上司の方は、影では彼女の悪口を大勢の人の前で言って馬鹿にしているのに、彼女の前では「あなたのお考えもあるでしょうし、それでいいですよ」と許容した顔を示すのです。

団体まるごとが、大事な仕事内容の情報の共有化を行っていないのが当たり前の集団だったのでした。

私は、この二人の指示のもと、どうすればいいのか、進退きわまりました。

 

様々な泥沼状態がありました。

 

しかし、最終的にはさらに一番上の部門の人に相談して、直接の支持を最高位の人にもらうことになりました。

 

今、その段階です。

 

内輪もめ、内部の泥沼合戦、暗黙の了解や触れてはならないルール。

まだまだわからないものやグレーゾーンがたくさんあります。

 

これが私の所属する団体組織です。

 

最高位の指導役の人も多忙なスケジュールなので、いつまでも私は頼ることもできないでしょう。

ですから、私はまず、周りのツールで利用できるものを利用し、力を蓄える方向を決めて現在行動しています。

 

・8割以上間違ったやり方で日々を過ごし、いざやばい事態になると逃げ出す女性上司にはあまり関わらぬようにしつつ、2割が間違っていないだろうと思える部分から使えるものだけ使わせてもらうこと。

・周囲に悪口を言いふらし、常に上位の立場から下位のものを中傷して日々を乗り切る上司から、虚偽情報を除き、真実に近い部分から利用させてもらうこと。

 

二人のうち、使える部分だけを引き出して、私は自分だけの最もよい方法で良い仕事ができるように現在情報収集とまとめに入っています。

その監査チェック役は最高位の人なので、もう間違った方向にはならないでしょう。

 

自学自習も独学では限界がありますが、独学+利用できるツールで目的物を構築して専門を極めようと思いました。

 

人生、いつまでたっても勉強です。

いつか生を終えるとき、その時でさえも、まだ学び足りないなって思えるくらい学んで行きたいです。

よしんば、極めても、きっとまだ自分にはまだ極め足らないものばかりなのだと不満に思っているかもしれません。

そして、楽しんで、喜んで、嬉しくなって、悲しくてもなんとか踏ん張って生きて、いい結果をだせるように・・10年後の自分になにがあるだろうかを想像しつつ、一日一日を無駄に過ごさぬように(たまに無駄にダラダラしちゃうけど)時間を大事にしていきたいと思いました。

 

という日常のヒエラルキーから抽出した自分の断片像でした。

 

でわ、きょうも、統計学の自習を頑張ってみます。